舞踏とは何か


What is Butoh?

『舞踏』という文字は中国から渡来してきたものであります。千年前の日本の古文書にもその記載を散見することができます。以前は舞踏という文字は外来の文化・芸能を意味していました。明治期に催された『舞踏会』も当時の西洋文化を表す意味で使われたのです。現在、厖大な情報ネットワークが世界中に張り巡らされ国際間の交流の速度は全く変りました。今や私たち全体が情報の波に翻弄されているような状況ですが、今一度立ち止まって改めて舞踏の意味を考察してみる必要があると思います。『舞踏』の「舞」の字は旋回することであり、精神集中の果てに脱魂状態を引き起こした空の器・身体に神や先祖や霊などが憑依し舞を舞わせるということです。また「踏」の字は、踏みしめること、跳ねることであり、大地からのエネルギーを身体に吸収し地中の悪い霊を封じ込める力の存在を意味します。そして日々のつらい労働からの解放や、豊作の喜びを自然のリズムの中で祝う祭祀となり、先祖の霊を慰め楽しんで帰っていただく招魂儀式などの宗教的な国民行事に発展しています。当然これらの「舞」と「踏」は世界中のいたるところに現存していることでしょう。日本だけの特別なものではありません。それでは、今、私たちが『舞踏・BUTOH』と呼んでいるものは何でしょうか。1950~60年代に先駆者、土方巽・大野一雄らの出現によりそれらの芸術表現は暗黒(前衛)舞踏と呼ばれました。時を経て世界にこの舞踏が認知され広まると共に、暗黒(前衛)という名称がいつの間にか失われ、『舞踏・BUTOH』という一語で括られはじめました。しかし、私にはこの暗黒(前衛)ということが一番大事なことのように思われるのです。それは私にとっては実験精神であり未開の荒野に一歩足を踏み入れることなのです。舞踏を芸術と定義する理由がそこにあります。人はなぜ光を希求するのか、それは誰もが社会や自分の中に深い闇を抱えて生きているからではないでしょうか。極楽は想像でしか想うことはできませんが、地獄はいつも私たちの目の前に現存しています。私たちはいやおうなしに闇を見続け死と対面しなければなりません。それらのことから目を背け、既成美や夢物語を舞台で表現することのみが芸術なのだとしたら何と貧しい芸術になることでしょう。人間存在そのものが芸術なのです。舞踏がそれを示しています。現在私たちは西欧からの短絡的な美と力の一致、健康への過度の信奉病、プロポーションという美の基準値、芸術のビジネス化などといった価値観を強制されています。特に踊りにおいてはその傾向は顕著であります。暗黒(前衛)舞踏はまずそれらのことに疑問を投げかけることから始まったのです。戦後の獣に落ちた生活のなかで人間の優しさを再発見したのが舞踏ではないのか。美とは何か、民族の持つ固有の身体・文化に根ざした表現とは何か、それらの問いかけが舞踏の出発点であります。傲慢な人間至上主義や拝金主義が今や地球を覆いつくし人間そのものを疎外しはじめております。人間にとっての不安の対象はいまや人間そのものに向かっています。

声高にグローバリゼーションが叫ばれる今日ですが、各々が自分たちの足元を掘り下げてゆくことこそが今求められていることなのではないでしょうか。『お手手つないで前衛芸術』は成立しないのです。舞踏には虚偽のやさしさや同情は関係ありません。一人ひとりが自分の足で立つことから舞踏は始まります。そして美しい蝶になって羽ばたくためには長いさなぎの期間を経ることも必要なのです。困難の中にこそ希望があり、闇を経てこそ光の世界が待っている。世界が直面している経済の変動と政治的激動の渦の中で、実は私たちの内部にこそ、その現実を凌駕する広大無辺な宇宙が広がっていることを舞踏は教えてくれます。師・土方巽の『舞踏は自然から習え、肉体は物から習え』という言葉がさらに重みをも持ってくるように感じます。舞踏は単独にその世界を生きている、そう思いながらこれからも舞踏とは何かを考えてゆきたいと思います。

和栗由紀夫(2013年)