舞踏譜考察


Consideration of Butoh-fu

舞踏譜とは舞踏の振付を言葉により記譜したものである。古今東西にわたる舞踊の記譜法の中では特殊な方法の一つである。従来の西洋的記譜法は抽象的な記号で表されることが多く、日本では北斎漫画にあるようにスケッチに近い人物絵で踊りの振りを表現していた時代もあった。現代ではコンピューターを使ったより分析的で緻密な記譜方法がとられている。言葉によって想像的な舞踏空間を作り出し時間と空間を管理・共有するという、言語によるイメージの身体化という方法の一つが舞踏譜である。言葉はお互いが理解しあうために必須のものだが、その言葉の解釈や感性の差異、イメージ派生の相違、また言葉が含んでいる感情的なものなどが、お互いのイメージ共有を難しくしている場合もある。日本語を外国語に翻訳すること一つでも容易なことではない。まして舞踏言語であればなおさらである。舞踏譜は実体の定かではないイメージを特殊な言葉で追い込んでゆく作業といってもよい。土方巽が用いた優れた方法の一つは一次資料として絵画を使うということである。一目瞭然という言葉の通り、絵画を使うことによってまず素早い視覚情報の共有ができる。人間の目から入って来る情報は多量で確実性を帯び理解しやすい。その絵画から、フォルム、ムーブメント、材質感や雰囲気、時間や空間までをも読み解き、舞踏化するために、舞踏言語として整理し直すのである。その整理・限定の仕方は土方舞踏独自の特徴を持っているのだが一口には説明し難いものである。二次元の絵画空間から四次元の舞踏空間への変容の連続が舞踏の一つのテーマとなる。もちろん舞踏の振付の全てに絵画資料があるわけではない。詩的な言葉や音楽からの作舞の方が多いかもしれない。しかし人間の目を一つの写真機のシャッターに見立てれば、現実世界のすべての風景は一方通行の一枚の絵の連続のようなものになるかもしれない。いずれにしてもその想像的空間の中で、個人の感性・精神性をより高めてゆく必要がある。言葉が個人の豊かな記憶を目覚めさせ、夢の継続機能を高め、個の身体的特徴をその魅力にまで高める作業に入って行かねばならない。それには言葉による振付の不自由さや外部からの強制に拮抗できる自分自身の内部の力を自ら養成することが条件となってくる。そして自分にとって内部あるいは外部とは何かという根本的な問題に直面する状態に身体は置かれる。やがてそれらを探ってゆく内に身体が内包しているさまざまな境界膜がゆらぎ始め、身体の拡張や収縮、神経の広がりや皮膚感覚が、身体感覚として舞踏の中で重要な位置を占めることになってゆく。言葉は触媒としても私たちの探求心を刺激し続けるのだ。舞踏者は受信体として全身の感覚を研ぎ澄まさねばならない、と同時に発信体となるべく最大限の努力をしなければならない。これが舞踏譜の舞踏のあり方であろう。しかし舞踏譜を使った場合の舞踏の再現の正確性に関しては一律ではない。そこには舞踏における再現とは何かという大きな問題が横たわっているからだ。

舞踏譜による振付には大きく分けて二つの世界がある。その一つは(なる)ということである。(なる)とはトランスフォーメーションあるいはポゼッションを意味する。しかし舞踏譜が指摘しているものに(なる)のであるが、完全に(なりきって)しまえば外部からの振り付けは無効と化し、表現はあるトランス状態のままで停滞してしまうことになるだろう。そこでもう一つの世界(想像的空間を生きる)ことが必要となってくる。それは、醒めて、自覚していて、自らを管理する状態である。この二つを同時に保持しようとする。この分裂しているような二つの状態(世界)を同時に保つということが舞踏譜の舞踏の難しさである。さらにその二つの状態を保たせているのは踊っている自分ではなく舞踏というもう一つの生命なのだと知覚する。また分裂しながらどっちつかずになっている状態も一つの舞踏になっている場合もある。ここでは舞踏者の目が一体どこに付いているのかということが問題となってくるだろう。土方巽の「すべての技術は魂のうちにある」という言葉は、必然的に「技術とは何か」という問題を提起する。覚えるという技術、忘れるという技術、そういう行為全体を司っているもう一つの技術。外部から投げかけられる言葉を実体としてとらえ、偶然を必然のものにする努力が舞踏手の資格となる。真の創造的能力をつかみ取ることを舞踏から要請されているのだ。仮に言葉の先にあるものが舞踏だとしても、舞踏譜の中に何を見出すかは舞踏手の創造能力そのものにかかっている。なぜならば人間は言葉を使うことで文化を築き上げてきたのだから、舞踏もまたその例外ではない。

「舞踏する器は、舞踏を招き入れる器でもある。どちらにせよ、その器はたえず空っぽの状態を保持していなければならない・・舞踏は空っぽの絶えざる入れ替えである」土方巽。

「日本の「うつる」ということは一種の自然の法則であって、「うつす」といった能動的なものではないところがある。流動してゆくことが「うつる」の第一義である」郡司正勝。

「死体になりつつ死体にならないで、死体を凝視している演劇空間が土方巽の舞踏である」市川雅。

これら諸先生方の言葉は、私たちが舞踏譜の舞踏を研究してゆくうえで貴重な示唆を与えてくれる。

以前、私は自分なりの整理の仕方で土方巽から振付けられた多くの舞踏譜(ほとんどは公演用の振り付け)を七つの世界に分類し、CD-ROM「舞踏花伝」として出版したが、それは(重いものから軽いものへ)という分類の仕方であった。しかし今その分類の詳細を再検討する前にはっきりとさせておかなければならないことがある。舞踏譜に頻繁に登場してくる(なる)という言葉の理解である。花になったり、獣になったり、溶ける肉や壁や幽霊になるといった振付群である。なぜ土方舞踏譜は変貌の連続なのであろうか?それは舞踏が時間芸術であるということが一番の理由であろうと思う。
「舞踊は刻一刻にその形を作り出し、同時に自らの手で消してゆくという作用をいとなむ芸術である。・・見せようとしないで、しかも人を深く感動させるのが、技術をのり越えた芸術の生命というべきものであろう」 と郡司正勝は「おどりの美学」のなかで書いている。またある講演のなかで次のようにも話している。「『憑く』という感覚は、意識的には客観的だと思うのです。そこで憑くということは二重的意識を持っていると思うのです。のりうつる力がなくては役者にはなれませんけど、それと同時にさめている自分あるいは客観性を保たねばならない」と。
私は私なりにこの二つの文章の中の舞踊は舞踏に役者は舞踏者に置き換えて理解している。土方舞踏譜の変貌の連続は生命の流れなのである。表現は流れる水のようなものにならねばならない。流れることが舞踏の生命なのである。
「舞踊は舞踊のためのもので、まして踊り手の表現を見るためでもその魂を知るためでもない。舞踊家は一個の伝導体でしかない。舞踊家がその作品の中で何かを見せようとすれば、機械はバッタリと止まってしまう。舞踊としての生命の動きを止めてしまうのである」この言葉は「おどりの美学」の中で日本舞踊について語られている言葉なのだが、今の舞踏に当てはめることはできるのであろうか?初期の舞踏は土方巽という強力な個性が暴力と倒錯的エロチシズムを引っ提げて既成のダンス界に挑戦したところから始まった。まさしく主役は超個性ともいうべき土方であり、土方は舞踏そのものであった。一個の人間の生の叫びがそのまま生々しい舞踏へと変貌していたのではなかったのか。個という概念の薄い日本の文化的状況に強烈な自我と否定の精神を持ち込んだのも土方であった。個あるいは自我そのものが舞踏の表現の本質ではなかったのか。しかし、時とともに状況は変わってくるのだ。後期の土方舞踏について「舞踏という舞踊の季節」のなかで郡司正勝はこう述べている。「舞踏とは、戦争という暴力の後に残った、骨と皮の動物に落ちた闇の中で、人間が人間であることを発見した優しさの表現ではなかったか。そこには創造とか自我とか個性といった気負った虚栄はない。ここに近代と絶する新しい次元がみられる」と。土方舞踏の初期と後期の現れ方の違いは歴然としている。しかし土方巽の中では移り変わってゆくことへの確固たる必然があったのであろう、私たちは推測するしかない。前述した(空っぽの入れ替え)のことに話を戻せば、空の器にはいつも何かが侵入してきて、棲みつき、また逃れ出ているのだ。それは、死者や先祖や精霊や零落した神かもしれない。ハンス・ベルメールの少女やフランシス・ベーコンの法王や伊藤若冲の鶏が棲みついていてもおかしくはない。器の主役は次々と入れ替わるのである。(なる)ということはまず舞踏者の肉体を空の器にするところから始まる。日本の伝統芸能の基本的な修練は(生を殺す)というところから始まるのに類似している。しかし土方の空の器には伝統芸能が切り捨てていった死の国の風土が色濃く残っており闇が屹立している。暗黒舞踏の名の由縁である。
「モデルネ・タンツは思想の自由、表現の自由の美名の下に肉体の屈従を強い、捕らわれの媒体へと肉体を蹴落としたのである」という市川雅の指摘は、皮肉にもモダンダンスだけではなく現在の多くの舞踏にも向けられているのではないか。舞踏もまた悪しきモダニズムに捕らわれているのだろうか。土方舞踏はそこからの遁走を決めたのではなかったのか?後期の土方舞踏は身を自然の中に置き自然の一部となることで対立する二元論の世界から豊かな一元論の世界へと移行したのではなかったのか。土方は最後には衰弱体そのものが舞踏の形であると言い残し、私たちを隔てた向こう側で一人佇んでいる。もう一つトランスフォーメーションから派生してくる問題に舞踏とシャーマニズムとの関係がある。土方巽は「いっそのこと俺は不具者に生まれついていた方が良かったのだ、という願いを持つようになりますと、ようやく舞踏の第一歩が始まります」と言っているが、郡司正勝も日本の芸能の呪術的起源を探る中で次のように説明している。「日本のシャーマンの多くが肉体的に欠陥のある人々によって、司祭された例も決して少なくない。・・生まれながらにして病弱な、一度は死線を越えた者が、舞踊家の資格を与えられたのである…深く魂に傷ついたものが、仮宿の身体を求めて、激しい舞踊の始原へ戻る『魂振り』の運動・表現に日本の舞踊は求められたのではなかったか?」 郡司正勝が土方舞踏を認めているのには、土方舞踏の中に舞踊の始原を見ているからであろう。古典芸能研究者と前衛芸術家の魂の交換がおこなわれているように感じる。世界のどの文化圏においても舞踊と宗教的儀式の間には切っても切れない関係がある。シャーマンの犠牲的肉体や狂気に捕らわれた状態、冥府への下降の旅、仮死と変身、慰撫者・呪医として立ち戻る存在、それらはいずれも土方舞踏を彷彿とさせる。「シャーマンにとっては、森羅万象は擬人化された宇宙である。岩、植物、動物、これらすべては人格的な主体を持っている」とあるシャーマン研究者は述べているが、土方舞踏譜とどう関連しているのだろうか。しかし土方巽はシャーマンであったのかとの問いには答えは否である。土方はあくまでも一個の舞踏家たらんとし、自己の肉体を舞踏そのものとして存在足らしめることに命を削っていたのである。宗教的効用などを推し量ったりはしてはいない。神の招命でも神おろしの家系を守ることでもなく、ましてや神を芸術商売の元手にはしていないのである。そこは潔い。「私の踊りは神社仏閣とは無縁である」と土方ははっきりと言っている。また「自然主義的神秘主義ほど厄介なものは無い」とも言う。自己の存在の不安や行為の確証を、また薬を飲んでいい気持になっているようなトランスを、安易に神秘主義の中に逃げ込ませてはならない。判らないものを判るもので包囲してゆく、すると判らないものはまたスーッと逃げてゆく、追いかけっこの連続である。判るものとは言葉である。この果てしのない永久運動から遠く離れたいという思いは誰にでもある。しかし判らないものとは神以前に自分自身のことなのだ。自分から逃げることはできない、だから人間にはいつの時代にも自分を忘れるために舞踊・舞踏が必要なのかもしれない。この人類が抱えるパラドックスに挑戦したのも土方であったのかもしれない。 「舞踏花伝」の中で、私は舞踏譜を七つの世界に分類した。(解剖図鑑)(焼け落ちた橋)(壁)(鳥と獣)(花)(神経病棟)(深淵)の七つである。重いものから軽いものへという流れで整理をしてみた。しかし重いもの、軽いものという分け方は便宜上のもので、重さとは何か、軽さとは何かがテーマにならなければならない。重さを表現しようとして、足を踏ん張ってみればみるほど体は軽くなる。重い体とは投げ出され忘れさられた表現不能者・放棄者のものだろう。絶望・放棄・不能という重さである。表現できないということが一つの表現になっているのかも知れないがそれは不明である。また気分の重い人ほど軽くなりたいと願っている。人間の中では重さと軽さはいつも同居しているのだ。

闇と混沌への恐怖、この見えざる重さにどう対峙してきたかが人間の歴史なのだろうか。
「闇と混沌の恐怖は、目に見える対象との間に介在するあらゆる距離が呑みこまれて、黒一色に塗りつぶされ、主体と客体との間の裁然たるへだたりを失うことへの恐怖である」種村季弘。

土方舞踏が暗黒舞踊という名で産声を上げてから半世紀以上が経った。暗黒とは闇、混沌、未分化、不可視、下降、地獄、死、恐怖、絶望、不能、悪など多くの事柄を暗示する言葉であろう。世界の趨勢の中で「暗黒」という言葉がいつの間にか消えて「BUTOH」で括られるようになった今、もう一度この「暗黒」の意味を考え直す時期にきているのかもしれない。戦中・戦後の焼け跡の闇は今も世界中を覆っているのである。捉えなおすべきは舞踏の未来などではなく舞踏の現在なのである。自己表現という美名のもとに隷属しているような舞踏はいずれ消滅の運命をたどるだろう。残るものは己の戦いの痕跡だけだ。舞踏が今なすべきこと、これは己の足元を掘り下げてゆくことでしかない。人間の基層に触れること、闇の中に一人屹立する勇気がなければならない。舞踏はあくまでも自己探求の旅なのである。

本題に戻って、「舞踏花伝」でまとめた舞踏譜世界の再検討に入っていきたい。
「舞踏花伝」の一番目の世界(解剖図鑑)から考えてみよう。舞踏譜の中で一番重く底にある世界である。舞踏譜の中に(重い顔)という言葉がある。(思案に余った、どうすればいいのか判らない、沈痛の重さ、投げやりの重さ、視線の切れた重さ。前面と背後が全く切れた状態)。(重い顔)という言葉の一つにもこれだけの身体の状態や心理状況が隠れている。この言葉の絵画資料はフランシス・ベーコンである。土方はベーコンの踊りを「肉体の迷宮」あるいは「偏愛的肉体論」と記している。無限の循環が持つ無時間性もまた重さのひとつであろう。ベーコンの舞踏によく使われる言葉に(内臓の回路を辿る)という言葉がある。市川雅は土方の肉体について、「肉体迂回を繰り返す肉体」だと指摘している。土方から、「踊ろうとしている対象がいきなり自分自身の中に登場してきたらどうなるのか?」と聞かれたことがある。稽古中に、「肉が単独で泣いているんだよ、危ういものをかろうじて形で支えているんだよ」と太鼓をたたきながら叫んでいた。「欲望のオブジェ、そういう技術を入れておく器が肉体である」これも土方の言葉である。画中のベーコンの人物を、断片に砕き、解体して仕分けをし、各部分を捩れた新たな関係に並べ替え、肉の収縮・増幅を繰り返えさせ、肉体の部分の突出をはかり、さらに肥大化させ空間化させてゆくような動きに作り変えてゆく。そこには舞踏手の安易な心理的構図などが入り込む余地のないメカニズムと格闘している肉体がある。ベーコンの踊りの稽古中に土方が言った「リアルなものほど神秘なのだ」という言葉をどう理解したらよいのだろう。舞踏譜の(解剖図鑑)の世界の中にはベーコンの他にもいくつかの絵画が重要な資料となっている。フランシスコ・デ・ゴヤである。アンドレ・マルロー曰く「手の施しようもない状況に追い込まれた人間の普遍的な感情を伝える」ゴヤの世界である。「肉体の牢獄に生きながら閉じ込められた者の悲劇、ゴヤは耐え難い狂気のイメージによって世界を解釈している」と澁澤龍彦はゴヤ論の中で書いている。舞踏譜では闇の中から現れては消えてゆく妖怪のようなゴヤの画中の人物が数多く登場してくる。闇は背後だけではなく身体の内側や目の中にもあるのだ。見たこともない人物が身体の奥深い闇の中から出現してくる。「理性の眠りは怪物を生み出す」とはゴヤ自身の言葉であるが、私たちは自分の体の中の黒い部屋に未だ見たこともない怪物を飼っているのかもしれない。その闇や不安や不気味さ、救いのなさがゴヤの踊りの時空間になる。「闇とは何か?」という稽古場での唐突な問いかけに言葉を失っていた私に土方は「ほら私の手の中にいる鮒の中にも闇はあるんだ、重いんだ」と言っていた。また「混沌の中の誠実」という言葉も手ごわい。混沌が肉体のことを指しているのか、私という存在なのか、複雑な振付の舞踏譜のことなのか、あるいは宇宙のことなのか、いずれにしても「誠実」とは?この言葉はルドルフ・ブレダンの版画を私たちに示しながら語った言葉である。巨視と、微視の、これ以上の結合は不可能と思われる劇的空間の密度について稽古している私たちに問いかけた言葉である。人間が人間としての根拠を失い、肉体が肉体としての輪郭を失い、希望も終点もない一流適者の孤独な踊りについてであった。「世界で一番遠いものが自分の肉体である」と言ってその日の稽古は終了した。一体イメージとは舞踏者にとって何なのだろうか?頭で泡を吹いたような一瞬の視覚的イメージなどはあっという間に消滅してしまう。それはイメージではない。私の主体にまでかかわってくるイメージ、私の体を変容させてしまう力を持つもの、自他ともがわからなくなるような状態に導くもの、あるいは私が抵抗してもより強い力で引きずり込んでしまうような力、これらが舞踏者にとってのイメージなのだ。それは時間とともに強固になってゆくものなのだ。「誠実」という言葉は、それらの未知の世界へ飛び込んでゆく勇気のことなのか、あるいは自分のことは自分でけりをつけるという意思のことかもしれない。「重さ」について考えてみると、「動かない石の重さ」「濡れて不定型な深海の生き物の重さ」「無名の肉の重さ」「重さに耐えている重さ」といくらでもあるだろう。世界のほとんどの舞踊が「軽さ」を主眼に置いているなかで、土方舞踏のいう「重さ」はこの地上から飛翔することではなく、地上をいとおしんで徘徊することでもなく、人間という大地を踊る舞台とし、自分の中に下降してゆく重さなのだ。人間という存在の重さである。それを計ることはできない。以前、世界的に著名な振付家が「舞踏は重力を手なづけ、味方につけた」と褒めていたことを思い出すが、それは舞踏に対する西洋人の印象であろうと思う、私は、舞踏はバレエの対極にあるものではないと考えている。

二つ目の世界(焼け落ちた橋)に移りたい。郡司正勝曰く「土方の舞踏は肉体を素材とした芸術ではなく、肉体そのものを喰う行為そのものが踊りなのだから、死の舞踏なのである」 この言葉に代表されるように舞踏が前面に押し出してきたものは「死」であった。戦後の日本のダンス界が健康な肉体の美と力の一致をお題目のように唱えていた時期に、土方は醜悪な美と悪魔的な変身と嘲笑を引き連れて死者の屍衣をかぶって出現した。死の視点から肉体を観念したこの踊りは昭和元禄で浮かれている日本の首都に真っ赤に熱した太い杭を打ち込み、灰神楽の中で闇をばらまいたのである。(焼け落ちた橋)とは戦争の焼け跡で全身火傷をしながら天界と地界の間に立ち尽くしている人間のことである。天と地の架け橋が燃えているのだ。刻々と死につつある人間のことである。生きたい何としても生きのびたい。耐え忍ぶ痛みと汚らしさ、人間という条件や輪郭をすでに失っているのだ。焼け跡と狂気。(はたして動くことができるのか?)土方は「人間が存在するために不可欠なもの」と記している。この(焼け落ちた橋)の世界を通過するのには痛みが混じる。舞踏譜を紐解いてみよう。(顔の重層、ひきつり、ベーコンの顔、ミショーの神経、片腕の凝固、馬の首、乞食、骸骨、仮面の裏側、癒着、膿、すべる、ずれる・・) 舞踏譜を理解してゆくうえで大事なことは重層と混濁をはっきりと分けることである。総合的な重層化が必要なのである。そして受け身体となるだけではなく、こうしてしまおうという実験的な精神が求められる。プラスアルファである。(顔の重層~)のフレーズには13の言葉がある、一つ一つの言葉の間にこそ踊りは潜んでいるのだ。言葉と言葉の間のブリッジの仕方が踊りの速度や密度を決め、その密度が踊りの強さを作り上げてゆく。溶けて、癒着した不定型な肉の塊が、だんだんと肉が削げ落ちて細くなり、骨が露出し、骸骨になってゆく。このプロセスが舞踏なのである。土方舞踏には型があるといわれることがあるが、型をスタンプのように押して踊りを続けているのではない。型から滲み出てくるもの、はみ出してくるもの、収まりきれないものが型を歪ませ、変質させながら、次の型を呼び込むのだ。型はゆっくり混ざり合うこともあるが、突然型が空っぽになり恐ろしい速度で次の主役が型の中へ侵入して来ることもある。壊してゆく型、消えてゆく型があるからこそ、その先にあるもう一つの舞踏の型というべきものがうっすらと見えてくるのだ。その土方の高度な要請に答えてゆくには時間が足りない。以前、舞踏花伝を英語に翻訳していただいた時に翻訳者から質問があった。「なぜ土方舞踏には膿という言葉がこんなにも多く出てくるのか?」私は彼にうまく説明できたかどうかは記憶にないが、(膿)は内部から流れだし固まると外部の皮膚となる、内部が外部にあふれ出て、外部は内部に浸透してくるということは肉体を一つの皮膜としてとらえているといえないだろうか。【膿】の稽古ノートにはいくつかの重要な指摘がある。その言葉は、(全体的な患部。膿の濃いところが自分だ。膿の血液とは、もやだ。背後、自分が踊っている他に、もう一つの核がある)この(全体的な患部)や(もう一つの核)という言葉の空間には、自分ではどうしようもない状態に打ちのめされてすがるものもなく、ぽっかりと空いた体の洞窟に向かって助けてくれーと弱弱しく叫んでいる舞踏手が捕らわれている。人間の壊れ方、断末魔、空間が痛い、空間が病んでいるのだ。空間とはもちろん体のことである。内と外との境界線が浸食しあい曖昧になってゆく。空間が膿なのか自分が膿なのか。体中から膿が流れ出せば、デクーニングの女のようになるだろうし、膿が引き伸ばされ薄い膜のようなものになればターナーの鈍色の空にかわってゆくだろう。また乾いて鉱物化したかさぶたは光を通過した鼈甲飴のようにも見えるだろう。鼈甲飴でできた少女が膿の中から登場してくるのは正当なのである。膿は、流れ、固まり、引き伸ばされ、変色し、結晶化し、希薄になってゆくことで、別の世界への橋渡しをしているのである。ターナーの絵について種村季弘はこう書いている「理屈に合わない狂った遠近法、二重焦点、あるものの形が他のものに溶け込んでしまう・・・描いている時間を描いている・・・消しながら描いている」 このように何枚もの絵が重なりあっているキャンバスが肉体そのものであり、描いたり消したりを繰り返しながらいつも不安定な形を持っているのだ。そしてその不安定さが踊りを支えている。さらに腐敗や気化や消化が次の変貌への道標となる。大事なことは徹底的に自分にこだわるということなのだ。自分の肉体を熟視すること、踊りはそこから始まる。

三番目の(壁)の世界の舞踏譜にはこう書いてある「あなたはすでに構築している」「時間という虫に巣食われて刻々と崩れているものを必死につなぎ止めているのが肉体である」「肉体は物であり、時間とは肉体。」「肉体は時間と空間の蜂の巣だ」

(壁)の踊りは自分の肉体との格闘である。豆腐を描いていたら煉瓦になってしまうような、肉体の内部に偏執的に関わる仮設作業である。私たちはまず肉体の材質という問題から考えなければならない。デュビュッフェの壁に線描されたような人物や、ジャコメッティのこれ以上は接触できそうもない細い彫刻やブリューゲルのざらざらと粗い粒子でできている壁化した乞食に出会わなければならないだろう。それらは圧縮され塗り込められている。肉体という立体をさらに立体化させ、ずらしながら壁を厚くしてゆく。肉体を空間へ拡張してゆくのと同時に内部への密度を濃くしてゆかなければならない、拡散と集中の二つの反するものを同時に行うことで壁が出現する。また(壁)の舞踏譜の中ではオノマトペがよく使われる。たとえば、(ガチッと固まる、ボロッと崩れる、ボキッと折れる)、これらを(カチンと固まる、ポロポロと崩れる、ポキンと折れる)と比較すると両者の違いは歴然であろう。短い擬音の中に質感や量感、速度も含まれているのである。日本的な感性がよく表れている。肉体の材質に目を向けることはそれぞれの材質が持っている時間と向き合うことである。しかし肉体の材質を探求しているのはなにも舞踏に限られたことではない。大量破壊兵器の使われた二つの大戦で人間は断片に粉砕され人間の死という尊厳をも奪われた無残な肉塊となって放置された。物化している無言の肉体が路傍に放置されていたのだ。それは現在でも同じかもしれない。戦後に発生したアンフォルメル運動も戦争の持つ悲惨さと無縁ではない。肉体とは何か、自分とは何か、表現とは何か、肉体と自分との関係を再び探り始めたのだ。デュビュッフェはこう語っている「絵画は物を物の身体へとさしむける」この言葉は言い換えれば物としての肉体をどう描くのかということではないのか。また「流れは、描かれた対象とその対象を描く画家というふたつの堅固な極の間につくられる」とも言っている。舞踏ではその対象を描くという行為が肉体の上で行われるのであるから、その極の間をどうとらえればよいのか、極の間を「距離」という言葉に置き換えてみればわかりやすい。まず作家と作品との距離という問題である。土方は「私は作品ですからおいそれとは見せられない」という。三島由紀夫はこう言っている「芸術家と芸術作品を一身に兼ねることの一瞬とは、自分の意図した美が完成すると同時に自分の官能を停止せしめ、肉体は他者にとっての対象に他ならなくなり、すなわち死体になった瞬間であった」この言葉の背後に土方の「命がけで突っ立っている死体」が影のように立ち現れる。しかし舞踏は自分の肉体を彫刻のように作品化させるわけではない。肉体そのものが表現ではあるが、舞踏はその肉体からはみ出てゆくものである。土方はそれを強引に自分の肉体の方に引き戻そうと格闘しているかのように見える。必死に舞踏を自分の肉体に塗り込めようとしている。いや、もしかしたらその先に自分自身の肉体をもどこかに塗り込めようとしていたのか?「マイナスの方向へ」という言葉が重くのしかかってくる。舞踏譜に次のような一行がある「幽霊が壁の中に入ってまた出てきて空間に消えていった」 舞踏譜を英訳するときに、翻訳者から「幽霊って誰が?」「壁ってどこにあるの?」と問いかけられた。英語では主語が必要なのだ。そこで「私がいつの間にか幽霊になって、その幽霊がいつの間にか空間に現れた壁の中に入って行った」という英訳になってしまった。舞踏では幽霊も壁も消えてゆくこともみな自分の身体に起こった出来事なのである。日本語の持つ主語の曖昧さがまた舞踏の特徴を形作っている。稽古場では「幽霊が~」といえばすぐそこに幽霊になっている自分がいる。この疑いの少なさもまた貴重なのではないかと思う。「疑いばかりで実りが少ない」という言葉もあるではないか。

四番目の世界(鳥と獣)に移ってゆきたい。ここでは「猿から始まり狐で終わる」といった日本の伝統芸能の物真似発生論との関係でも、神の予言や魂を運ぶ鳥の話でもない、(鳥と獣)の舞踏譜上の検討をしてみたい。「脆さの精素を用いて遊ぶ舞踏には、人間であることを忘れるという刺激が、人間以下のものに好意を寄せる状態を導きだしてくる」土方巽。

「日本では当然のごとく人間は転生する。ことに中世に成立した能なんかになりますと、動物や植物が主人公になります。こうした草や露や雪などそのものが、ドラマの主人公になるといった演劇は西洋にはありません」郡司正勝。

「錯乱した想像から生まれた奇怪な動物が、人間のかくされた自然本能の姿となった」ミッシェル・フーコー。

「人間は夢の中で動物に戻る」プラトン。

このように貴重で暗示的な言葉が数多くあるが今は深くは入り込めない。
私は稽古場での自身の体験から始めたいと思う。獣の稽古をするときに、四つんばいになる。不思議なことだが、妙にほっとしたような安堵感に包まれる。なぜだろう?二本足で立って日々人間を演じていることからの一瞬の解放なのか、無名性への誘惑なのか、獣の目には人間とは違うもう一つの地平が広がっている、それは新鮮である。二本足で立つ前の本能的な姿の名残なのであろうか、何もしないでこのまま人間には戻りたくないと思ってしまう。動物のしなやかさや重さや軽さや仕草を演じているより、動物の眠りに誘われていきたい。そのまま何もしないで眠っていたいと思うのである。「動物を追っていったら踊れなくなった」。動物の姿態の模写でも模倣でもない本質的な何かが動物の踊りには潜んでいるような気がする。「動物の気まぐれに100パーセント確信を与えている神の手に触れなければならない」と土方は言うが、そんなことができるのであろうか。「気まぐれ」 という言葉だけを取り出して考えてみても迷路に迷い込んでしまう。自分の踊りを気まぐれの表現として観客に提示して観客がそう感じたとしても、自分にとってすべては予定通りの行動なのでありそこには少しも気まぐれはない。それでは自分の決めた踊りを気まぐれに舞台の上で壊して即興をしてみようと挑戦しても同じことである。ここに振付と即興の問題が横たわっているのだ。気まぐれに踊るということは、自分の感じたままに自由に即興で踊るということの意味ではない。それは単なる表現の垂れ流し、酸素の無駄使いにしか過ぎない。自分で自分を騙す作業、騙されやすい肉体を喚起せよという、舞踏に参入する態度が問題になっているのだ。振付けられた踊りはすべからく即興として踊り、即興といわれる踊りは瞬時に振付されているのだ。では気まぐれとはある憑依状態を指すのか、それは振付も即興もなく気まぐれとも関係のない世界である。トランスフォーメーションとは自分から向かってゆくものである。獣の世界であれ、鳥の世界であれ世界に仲間入りをすることである。そこでは獣や鳥たちがすべて私の舞踏の師匠となる。
(鳥)の世界の中心的課題は「材質のメタモルフォーゼ」である。カラスは老婆に、白い鳩は子供へと変貌するのである。この材質の類似性・近親性ということは土方舞踏譜の特徴でもある。鳥が木になったり、光になったり、産毛と体温になったりするドラマとしてとらえられている。また、コントラストや強調がメタモルフォーゼの鍵となっている。土方舞踏譜には数多くの鳥の踊りがある。(鶴、剥製の鳥、カラス、鳩、鴨、梟、孔雀、ミショーの鳥、ゴヤの鳥)枚挙にいとまはない。それぞれの鳥がそれぞれの時空間と密接に関係している。たとえば長い鶴の首は線の描写の最終的なものとして、ハンス・ベルメールの糸でできた少女や蜘蛛の巣の集積と合体につながってゆくだろう。鳩の白い羽毛や丸い胸は白い粉状の赤ん坊の眠りとつながってゆき、まぶたの裏に白い光の花の出現をみる。孔雀の長い羽根は鳥の神経の抽象の向こうに気化や無化を用意している。このようにメタモルフォーゼしてゆく鍵を鳥という形を借りて探ってゆくことが重要なのである。鳥や獣を見ているとある種の霊感ともいえるものの存在を感じることがある。一体それは舞踏とどうつながっているのだろうか。

五つ目の(花)の世界を覗いて見よう。「ここには日本人の美学が成立しており、植物の「花」をもって、人間の「美」の象徴としているのである」と郡司正勝は「舞踊名言集成」の中で説明しているが、能の「花」のことである。また、「しかし世阿弥は「花」を説いても「花」とはいかなるものかという知的欲求に応じようとしたものではなく、いかにしたら「花」を身に着けることができるかということの答えであった」(踊りの美学)ともいっている。私の「舞踏花伝」も勿論「花伝書」からお借りしたのであるが、単なる土方技法の説明に終わらないように心がけるしかない。舞踏譜の(花)の冒頭にはこう記してある。(花の感情。内部が外部に溢れ出してゆく。花で打ち消される速度。身体の持つ順番を消してゆく。奪われてゆく花弁によって包まれている。放棄したときに一番花の形象に近いのはなぜだろう) 舞踏譜には多くの花が絵とともに記譜されている。(芙蓉)(薔薇)(董)(水仙)(蓮)(野花)(ダリア)(梅)その他(凍った光の花)や(ルドンの蛍の花)などもある。ここで(花粉)の舞踏譜を取り上げてみよう。(部屋いっぱいの花粉、濃度、眠り、包まれている、どんよりと重たい花曇り。朦朧としている。指先の細い糸、花、花弁をつまむ。帽子、髪の毛、花粉に包まれた花子。花粉を濃くして、ゆっくりと気化してゆく。指先の感覚のみで下がってゆく) 花粉の部屋に一歩入った少女が歩行している間にゆっくりと、しかし驚くべき速度で花に変身してゆき、さらに粒子と化して花粉空間に同化して花粉そのものになり、最後には気化して空間に溶け込んで消えてゆくというプロセスを振付けた舞踏譜である。奪われる、放棄という言葉が花の踊りのキーワードである。肉体の消滅、それも壁で見せたような力ずくのやり方ではなく、身体を開いて受け入れるという状態であろう。トランスフォーメーションのもつ自らその世界に参画するという態度よりももっと受け身体の舞踏がここにある。気化、無化、空間化、エクスタシーも重要な要素である。奪われたいという思い、自分が消えて無くなりたいという思いが花の踊りであろう。動物の持つ活動的な時間から植物の受身的な時間への移行である。花を日本の美学とした意識が土方舞踏の中にも生きている。しかし「純粋な花を、抽象の抽象でないものを」という土方の言葉には、抽象化してゆく肉体に対して「そうではないんだ」と語りかけているような気がするのだ。対象を抽象化し肉体までも抽象化してゆく先には、表現は成り立つのであろうかと言っているように思う。意識、肉体が気化していった先に残されているのは置き去りにされた抜け殻である。肉体とは抜け殻なのだという思いが、花によって自分は今こうして生かされているのだという思いと交錯してゆく。閉じた体を開いてゆき、何者かに自分をゆだねるという舞踏の転換点になるような舞踏譜の世界なのである。

六つ目 (神経病棟)の世界。
「彼はこの上ない〈通過者〉 通過の囚人だ・・・狂気はむしろ、人間が自分自身と取り結ぶ微妙な関係となる・・・・魔術行為と神を冒涜する行為は、一つの文化がそれらの有効性を容認しなくなると、病理学的なものとなる・・・イマージュは少しも狂気ではない。狂気はイマージュに真実の価値を与える行為のうちに自らの起源をもつことになる…神経病にかかるのは、過度に感じすぎるためというようになる。周囲のあらゆる存在に対して過度な連帯関係を持つと、病気になるというわけである」(ミッシェル・フーコー)

舞踏と神経病あるいは狂気との関係を探ってゆくためには膨大な医学書と文化人類学の書を読まねばならないだろう。とても私の手に余る。ここでは土方が好んで舞踏譜にしたいくつかの絵画を題材に狂気との関係を探ってゆくしかない。
(神経病棟)の舞踏譜の中にも土方の発した言葉がある。(発作的断層。全体的患部。肉体と材質の関係から肉体と人物の関係へ。総て優秀な錬金術師は神経病患者である。感情移入と神経のパターン化から脱皮せよ)など数多い。

アンリ・ミショーの絵画からの作舞。
・(メスカリン、神経の突出。インク壺、叫びの抽象。優雅さの分析)
・(光のひげのマント、薄さ・希薄さ。2メートル先の光の折れる細さに関わる)
・(3つの顔、ザクロ歯、白い顔、右目と左半分が溶けている顔が髪の毛でつながっている)
ミショーの踊りが即興で行われたこともあった。稽古場では異例のことであった。

「私は私の体に没入した。そこは運動と休息の間にある私自身の中心であった。それは時に、脳の統制から遠く離れた私の体の一部となった。ひくひく動く電気的な生物のように感じた」
「墨で脹れた飛沫との闘いは、始まり、もがき、暴れる。そして私にすぐさま理解を求め即断をせまる」アンリ・ミショー

ミショーはここでは一人の患者であると同時に、冷静極まる臨床医でもある。

(触覚と神経のみの歩行)という舞踏譜を紹介しよう。

(頭蓋の小枝がポキンと折れた、鼻に耳が付いた、こめかみから今しも鳥がとびたたんとしている、足元から虫が這いあがってくる、足の裏の虫をジャリッとつぶす、頬の痙攣、小指がピクンと跳ねる、喉の笛、背後にスプーンの落ちる音、頭の中に木の葉がサクサクと落ちてくる、少し沈む体、歩こうとしたらがチャッと胸の小部屋の扉が閉まった、首筋を這うナメクジ、足元から跳ぶバッタ、空間のひげ、馬の首、絡まってゆく蔦、その上に変な笑いを残して逃げて行った)

一体おまえは何をしているのだ?何処へ行くのだ?という声が聞こえる。
この振りの中には同じ神経の動きが一つとしてない。一つ一つの神経の速度,方向、質感、音、が違うのである。徹底的に管理すれば管理できないものが現れてくるのだろうか、身体は神経のオーケストラを奏で神経の共和国になってゆく。

ヴォルスの絵画も振付が多い。
・(ヴォルス、胸元下への神経の束、顔に突き刺さる神経、途中で止めて石膏化、空間に増殖してゆく神経、何事もなかったように下がってゆく)
・(貝の中、千本の枝の一つ一つにキリストはいる、私は生まれてこなかった。私は出てゆく部屋の中へ、私は出発のない結果を待っている。貝とは宇宙、私は何も作りはしないのだ)
・(真空の動物、真空の中に私の仲間が、しかし、それは永遠に会うことはないであろう。もう一つの立体から、もう一つの平面へ。何かが始まろうともしなかった。テレジア、ムンク、ヴォルスの重層化から、真空を通って、動物の顔が出る) 

実際これらのヴォルスの振り付けは難しくて自分でも理解して踊れているのかは自信がない。舞踏譜にはもちろんヴォルス自身の言葉が含まれているが、なにか禅問答をしているような気になってくる。

土方の稽古場では今私が整理しているような順番で稽古が行われていたのではなかった。公演用の稽古であるから、一つの踊りの中にいろいろなものが詰め込まれていた。タイトルは花の踊りなのだがその中にベーコンやミショーやルドンなどが入り混じっているのだ。違う世界からそれぞれが必然性を持ちながらしかし唐突に出現してくるのである。神経病棟の振り付けにも蕭白の蛙の人物や小鳩が登場してくる。この混在がまた土方舞踏の魅力なのだろう。小さい驚きの連続と予期しないものが現れるというシュルレアリスム的な手法にも秀でたものがある。これも土方の才能の一つであろう。
「動きの変化を千積んでも一つの変貌にかなわない」というのが土方の舞踏哲学なのだ。一つにはコントラストによる強調があるだろうが、騙されやすい肉体を喚起せよという言葉の方に説得力がある。
「技術を完全にマスターした踊る狂人」が土方舞踏の理念なのかも知れない。
土方はミショーのように患者になり、臨床医になり、なおかつ踊る狂人として自己を作品化させ、同じ肉体を持つ観客に向かって狂気とは何か、表現とは何かを問いかけているのである。舞踏は狂気のように感染するのだ。

暗黒の闇の中で得体の知れない生き物が悶え蠢く(解剖図鑑)
徐々に人の形を取り始めた途端、生という業火に焼かれる(焼け落ちた橋)
内部へ塗り込められてゆく肉体が壁化してさらに物化してゆく(壁)
騙されやすい肉体、気まぐれという神の時間、トランスフォーメーション。(鳥と獣)
抜け殻となった体に慈悲の花が咲いている。(花)
神経の糸が分裂して、宙吊りになってゆく身体。狂気。(神経病棟)
このように私たちは6つの世界を足早に通過してきた。

最後となる七つ目の(深淵)の世界。ここで中心となる踊りは (幽霊)と(光)である。
(幽霊は素晴らしい速度で変貌している) (ゆくえとの対話、空間との対話、亡霊との対話) (無数の視線に解体されている) (白い花の咲き乱れている時空のないところへ) (もや、霞、うつろい、軽いもののフレーズがさらに粒子化してゆく) (輪郭すら解けている) (希薄なものが周りの事物に溶け込んでいる) という言葉が並んでいる。
身体全体が粒子化しさらに引き伸ばされて希薄になり空間に溶け込んでゆく幽霊の踊りの舞踏譜である。さきに二次元の平面から四次元の立体へと絵画を読み込むことが舞踏家の仕事だと指摘したのだが、幽霊の踊りでは逆のプロセスをたどることになる。画家がキャンバスに人体を押し込めようとしているのなら、舞踏手は肉体という四次元の立体を引き伸ばし平面化させて二次元の絵画になってゆかねばならないが、しかしキャンバスとはそもそも自分の身体である。そのキャンバスすら消滅してゆくとしたら。手の打ちようもない速度である。そしてさらにマイナスの方向へと流れてゆく。自他との境界線の消滅。ゆくえを失った白昼夢のような体はすでに足元から消えかかっている。闇の中から現れた幽霊が白い光の中へ溶けて消えて行った。残るのは残像だけである。
「舞踏は消えてゆくから形が残る」土方巽

能も歌舞伎も遡れば亡者の出現によって舞台の幕は上がったのである。
体は仮の宿であるという無常観と憑依しやすい体質とが亡霊を呼び寄せたのだろうか。

(気化のプロセス)の舞踏譜。
(目の中の苺、口の中の薔薇、触れない香り、足元の花、顔が蛍になった、顔の気化、手のパヤパヤ、背後の網の目、蜘蛛の巣で首を切られる)

(光の視線)の舞踏譜。
(前方に瓶の中の小鹿、後方に出来の悪い蝉の目玉、後頭部に背後の光、後光、耳の中を貫通する光、指先の光、胸の中の光、上昇してボッカチオ、光の中、光の蜘蛛の巣に捕えられる、ヴォルスの光、柳空間、神経の集積から、枝垂れる、解ける、時雨れる、鼻の下、あごの下、耳の後ろから毛が流れている、光に解体される、蜘蛛の巣に光、ガーゼに光、目の乱反射、にじむクレヨン、空洞) 

白色は光でありまた死者の色でもある。
土方の臨終の際の言葉は私たちに何を訴えかけていたのだろうか?

「神の光を臨終している」土方巽。

以上、私は「舞踏花伝」にそって七つの世界を再検討してみたが、舞踏譜のまとめ方は何通りもある、私もまた舞踏作品を作るたびに並べ替えている。一つの舞踏シーンにいくつもの世界が新たになだれ込んでくる。同じ振付でありながら再度踊る時には違った踊りになっていることが多い。踊りは生物であるからその鮮度が大事なのだ。舞踏譜における再現性の問題や共有の課題などは日々の稽古の中で解決してゆかなければならないと思うのであるが、「細部に捕らわれすぎてなにか大きなものが抜けてはいないかね」という土方先生の声も聞こえてくるのである。さらに生涯を舞踏に捧げた土方巽の背後から語りかけてくる声にも耳を傾けなければならない。

この『舞踏譜考察』は私の持っている私家版舞踏譜やCD-ROM「舞踏花伝」の序文として自分用の覚書として書きました。
本文中では先生方の敬称を略させていただきました。私を導いてくださった先生方に感謝の念を持ってお礼に代えさせていただきたいと願っております。

和栗由紀夫(2015年)