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舞踏花伝web版製作委員会

舞踏家・和栗由紀夫(1952-2017)との約束

2017年10月22日、舞踏家の和栗由紀夫(わぐり ゆきお)が亡くなりました。享年65歳。京都精華大学での最期の舞台から3日後でした。彼は、舞踏の創始者・土方巽(ひじかた たつみ)の弟子として、自身がダンサー・振付家であると同時に、1998年に刊行されたCD-ROM『舞踏花伝』や、世界中でのワークショップを通じて、土方舞踏に於ける「舞踏譜」の存在と、創作の秘密を私たちに伝えてくれました。

彼の没後、和栗由紀夫の遺族、弟子、友人たちが製作委員会をつくり、彼の遺志でもある『舞踏花伝』Web 版を製作。最初のバージョンを 2020年2月26日(水)に公開しました。それがこのサイトです。この日は、和栗が生きていれば、68歳の誕生日でもありました。

なぜ、私たちは、このサイトをつくったのか。そこには、和栗由紀夫と生前に交わした約束がありました。サイト内容と重複する部分もあるかもしれませんが、『舞踏花伝』の歴史を簡単に振り返ってみましょう。

舞踏の創始者・土方巽と「舞踏譜」

暗黒舞踏を創始した土方巽は、1973年以降、自らはステージを降り、振付に専念する「第二次暗黒舞踏派」時代に入ります。彼に憧れ、舞踊経験もないまま入門してくる弟子たちを振り付け、短期間に数多くの作品を発表しましたが、その振付は弾丸のように発せられる「言葉」によるものでした。和栗をはじめ弟子たちは、それをノート書き留めつつ、身体表現にしていったのです。

では、「舞踏譜」とは、どのようなものだったのでしょうか。 「舞踏譜とは舞踏の振付を言葉により記譜したものである。」と和栗は云います。さらに、「舞踏譜は実体の定かではないイメージを特殊な言葉で追い込んでゆく作業といってもよい。土方巽が用いた優れた方法の一つは一次資料として絵画を使うということである。」と

いくつか例を挙げてみます。

ミショーのインク壷

額右に、インク壷が当たり、バンと割れて、飛沫が散る。その散った軌跡を取る。その軌跡を取った神経が、右顳かみ、頬を通って、口の横の痙攣から首へ抜ける。背中から、首筋に上がってくる神経を素早く取る。胸の細い神経がプッツンと切れる。

デュビュッフェ 壁の人の歩行 

虫に喰われることで。壁に塗り込められた人。ぼろぼろと崩れる粒子だけでできている人。それは空中に浮かんだ一匹の昆虫。カサカサに乾いている内蔵、そこに一匹の虫が薄い紙の上でダンスを踊っている。カサコソと粒子に関わっている虫。ちょっとでも触るとぼろぼろと崩れてしまいそうな脆い人がさまよう。

※詳しくは、本サイト「舞踏譜について」「舞踏譜考察」他をご参照ください。

土方が生前、舞踏の台本とでもいうべきこの「舞踏譜」を公開することはありませんでした。 そのため、「舞踏」には演出台本がない、とさえ思われていた時代もありました。 土方の編み出した、「ことば」と「美術」と「身体表現」とからなる「舞踏譜」は、画期的な演出手法だったと云えるでしょう。 土方は、最晩年の死の床で「この発明をまとめて世に出すのは、お前しかいないだろうな」と和栗に言い残したそうです。やがて自らも弟子を振り付けるようになった和栗は、土方が拠点としたアスベスト館で「土方巽舞踏譜研究会」を立ち上げ、「舞踏譜」のワークショップや作品創作を行う傍ら、膨大なノート群を整理しはじめました。これが後に『舞踏花伝』として結実していきます。

和栗由紀夫とCD-ROM『舞踏花伝』

土方から学んだ「舞踏譜」を、和栗由紀夫は自らの踊り手としての経験から体系づけ、あとに続く者たちが使えるよう「七つの世界」に整理しまとめました。これは、「舞踏譜」という土方の画期的な創作に和栗が加えた、もうひとつの創造的活動だと言えるでしょう。

そして、和栗は自ら体系化した「舞踏譜」の世界を、ある縁により、株式会社ジャストシステムからマルチメディア CD-ROM『舞踏花伝』として発表しました。これが土方巽の「舞踏譜」が世に出たほとんど最初でした。時は、土方の13回忌にあたる1998年1月。今から20年以上前のことです。古くから舞踏をご覧になっている方のなかには、発売記念に紀伊國屋サザンシアターで行われた催しを覚えている方もいらっしゃるかも知れません。

それまで舞踏は、即興性や属人性が高いものであると思われており、舞踏に振付=ノーテーションがあることは、ほとんど知られていませんでした。CD-ROM『舞踏花伝』の発表以来、言語を通してイメージを身体化する「舞踏譜」の存在が知られるところとなり、いまや海外でも「Butoh-fu」という言葉があたりまえに使われるようになっています。和栗由紀夫は、その端緒を拓いたのです。 詩のような言葉の背景に数多の美術作品が紐づけられていたり、ひとつのフレーズから別のフレーズへとキーワードを介して展開したりと、変幻自在な「舞踏譜」。多くの引用や連想で構成されるそんな「舞踏譜」の特質を立体的に把握するのに、リンク先を参照しながら全体の構成が見られるマルチメディアは、まさに最適な表現媒体でした。

メディアの進展に翻弄された『舞踏花伝』

ところが、コンピュータとそれを取り巻く環境の日進月歩の変化に、『舞踏花伝』は翻弄され続けました。先ず、発刊から数年を措かずして「CD-ROM コンテンツ」自体がなくなっていきます。 そこで、製作に関わった有志たちが版権を取得。DVD-ROM 版を刊行しました。国内外で舞踏を学ぶ者にとって欠かせない原資料としてゆるぎない評価を受けていたこともあり、『舞踏花伝』は DVD-ROM として版を重ね、書店やソフト店での流通には乗らないものの、直販という形で細く長く求められつづける「ロングセラー」となりました。 ところが、2010年代後半にさしかかると、OS の度重なる改訂により、『舞踏花伝』は多くの人の PC 環境において、再生不能なものとなってしまいました。 そこで、iOS 上での開発を進め、簡易版を iPhone アプリとしても開発・公開しましたが、これも iOS の度重なるアップデートに対応することができず、消えいくこととなりました。

和栗由紀夫自身が望んだ Web 公開

発刊当初から日英2カ国語対応で作られていた『舞踏花伝』は、国内よりもむしろ海外で、舞踏創作の裏側を知ることのできる唯一無二のコンテンツとして高い評価を受けました。その結果、和栗自身も海外の数多くの大学やカンパニーから、ワークショップの講師や振付家として招聘されることになりました。

そうしてできた新しい仲間や、世界中に偏在する弟子たちの求めに応えようと、和栗は次第に『舞踏花伝』をスタンドアローンのアプリとしてでなく、インターネットで公開することを、望むようになりました。

そこで、ともに『舞踏花伝』を作り続けてきた仲間たちに相談。2017年5月のことでした。この年の秋シーズンの公演が終了したら、『舞踏花伝』の Web 化にとりかかろうと話していたのですが、その矢先の10月に、和栗本人がこの世を去ってしまったのです。

あまりにも突然のことでした。でも、彼を敬愛し、慕う仲間たちはそんなことではへこたれません。弟子や仲間たちの尽力で2018年4月に東京ドイツ文化センターで行なわれた和栗由紀夫追悼イベント「魂の旅」において、CD-ROM 版のプロデューサーを務めた代表者が、和栗の遺志を継ぐかたちで「舞踏花伝 Web 版製作実行委員会」の立ち上げを宣言。それから準備を進めて、製作委員会を正式に発足させました。

『舞踏花伝』Web版の意義

「舞踏譜」には、森羅万象をどのように読み解き、身体化していくかという切り口があります。これは、舞踏を志す人のみならず、さまざまな創作に関わる人のインスピレーションの源泉となり得るものでしょう。土方巽から直弟子である和栗由紀夫へ、そして、さらにその先の世代へ。「舞踏譜」をより多くの人に、直接にアクセス可能な形でオープンにしている状態を存続させること。Web での公開には、その大きな願いが込められています。

『舞踏花伝』が Web 版となることで、これまでその内容にアクセスできなくなっていた状態が改善。スタンドアローンのアプリのようにコンピュータ環境の変化とともに再生不能になるということがなくなりました。

和栗由紀夫のいなくなったいま、内容の校訂はしても改変は行いません。ただ、彼が1998年以降にも積み重ねて遺した「舞踏譜」の考察や資料、本人の活動履歴は、できるだけ取り込んでいくつもりです。 また、『舞踏花伝』がインターネット上に Web サイトとして存在することで、土方巽→和栗由紀夫→次世代へと繋がる、舞踏をめぐるひとつのプラットフォームとなることも、目指しています。

これからの『舞踏花伝』

『舞踏花伝』Web 版は、和栗由紀夫と親しい人々のご協力で公開へと至りました。でも、まだ最小限のバージョンです。 『舞踏花伝』Web 版には、無償でいつでも見られる形で公開することにより、舞踏や「舞踏譜」に興味をもち、新たな表現を模索する世界中の人々の役に立ちたい、という大きな使命があります。(本サイトは日本語と英語で公開します) それが和栗由紀夫の願いでもあり、私たちとの約束でもあるからです。

これからも遺された映像や資料を充実させていきます。 本サイトを活用し、大いに刺戟を受け、楽しんでいただければ幸いです。

併せて、本サイトの更新と維持のために、みなさまのご協力を心からお願い申し上げます。

2020年2月26日
舞踏花伝web版製作委員会